上杉軍の軍旗




上杉軍には、「毘」と「龍」の軍旗がありますよね。
それぞれどういった意味をもっているのでしょうか。

そしてこの二つの旗は常に一緒だったようです。それは何故か!?
何となく・・・・、ではないですよ。(笑)

この軍旗の話は、仏教とも深く関わってきて、説明するととてつもなく長文になりますので詳細は省きます。



まずは「毘」の旗。
これは歴史好きな方々にはご存知の通り、毘沙門天のことです。


毘沙門天は別名で多聞天とも言われます。
仏法を守る四天王の一人であり、鎧を着て矛を手に持ち、悪鬼を踏みつけている神様。

ちなみに四天王には、西の方角を守る「広目天」・東を守る「持国天」・南を守る「増長天」・そして北を守る「毘沙門天」という配置になっています。

単独で呼ぶときは毘沙門天、四天王で呼ぶときは多聞天が一般的です。


戦の神様であり、北方の守護神ということもあって、上杉謙信や武士階級では深く信仰されていたようです。


次ぎは「龍」の旗。
謙信が用いていた旗には、龍と綺麗に書かれてはなく、流れるような字で書かれています。
これは「懸かり乱れ龍」と言われており、突撃(全軍総懸り)する際に用いていたようです。

一体この「龍」とはどんな意味があるのでしょうか?
また仏教の世界で何を意味するのでしょうか?





実は不動明王のことなんです。

不動明王は動物で現すと龍になり、物では両刃になります。

そして仏像では剣を持っており、これを倶梨伽羅剣(くりからけん)といいます。
この倶梨伽羅剣には龍が巻きついており、この龍が仏敵を倒すとされています。

また不動明王は正しい智恵をもって人々の迷いや邪悪な心を断ち切るといったことも現しています。




ここまでで、「毘」と「龍」の意味がわかったかと思います。
次に、何故この二つの旗は常に一緒なのか?という事をお話いたしましょう。


答えはこれまた仏教に関係します。
実はこの「毘沙門天」と「不動明王」は常に対の関係で祭られていたという記録があります。

なので謙信も、毘の旗や龍の旗のみの使用ではなく、間違いなくこの対で祭るという祭事や慣わしを知っていたはずです。
こういったことから、軍旗には「毘」と「龍」の二つの旗があったのだろうとされているんです。



ちなみに謙信の本陣には、「紺地朱の丸」と「紺地朱の丸扇」が掲げられていたようです。
↑の本陣旗については諸説あって、未だにハッキリとしないそうです。
*これは一つの説として有力というだけ




以上の事を踏まえると、おのずから「毘」と「龍」の関係がおわかりになるかと思います。
なので、毘の旗だけでも、龍の旗だけでも意味をなさず、「毘」と「龍」があって初めて意味を成すようです。



昔の人々は、神仏を事の外考えたり思ってたりしていたんですね。



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このお話を掲載するにあたって、上越市の学芸員様、飯綱武蔵守法達殿、碓氷六三郎殿関係者の皆様から多大な協力をしていただきました。
誠にありがとうございました。